内山拓也監督の自伝的最新作『しびれ』(2026年9月25日公開)で主演を務めた北村匠海。胸を締め付けられるような、子どもの過酷な生活と成長を描く本作は、第26回東京フィルメックスで審査員特別賞を受賞し、第76回ベルリン国際映画祭パノラマ部門にも正式出品された。子役からキャリアをスタートさせ、今、新たな境地に辿り着いたように見える、彼の役作りの核心から、ベルリンでの体験、自身の映画観の原点まで語ってもらった。
役に「生きる」ための覚悟 ── メソッド演技を超えて
Esquire:今回の役は、リアルというか、かなり生々しいところまで突き詰めていらっしゃったようにお見受けしました。役のために(メイクの)タトゥーをつけ続けていた、というお話も伺いました。そういったメソッド演技的なアプローチをされた役は、これまでにもあったんでしょうか? それとも今回が初めて?
北村匠海(以下、北村):基本的に僕は、メソッド演技的な要素をどの役にも落とし込むことをよくやっていて。例えば「この役だったらこの食事を食べているだろうな」とか、そういうことですね。
結局、個人的には役者としてやるべきことって、「どう演じるか」じゃなくて「どう生きるか」だと思っています。僕が目指している役者のあり方はそれ。『しびれ』に関しては、まさに自分が求めているものが全部詰まっていたというか、これほどむしろ「生きやすい」役はなかった気がします。
この作品の撮り方もそうだし、物語としてもそうだし、「どの瞬間も生き切らなければならない」というものが受け継がれていく。バトンが渡されて僕のところまで届くまでに、いちばん僕に求められていたのは、今まで培った技術ではなくて、「どう(大地が)死なないか」ということだけだったんです。だから、僕としてはかなり贅沢な時間でしたね。
監督の分身を演じるということ
Esquire:今回の役どころは、内山拓也監督ご自身が半分投影されている役であったと捉えています。監督自身が投影される役を演じるというのは、本人が現場にいる以上、俳優にとってはある種のプレッシャーになる部分もあると思います。フランソワ・トリュフォーとジャン=ピエール・レオーの関係ではないですけど、投影されることによる「演じる人間としてのリスク」のようなものも出てくると思いますが、北村さんに怖れなどはなかったのでしょうか?
北村:確かにリスクというか、「どう向き合おうか」という悩みはありました。内山監督とは昔からの知り合いで、「いつか絶対やろうね」みたいな話は前からあったんです。だから今回『しびれ』の話をいただいて、まず先にあったのは、自分がどう作品と向き合うか以前に、どう監督と向き合うかということ。この役は、半分は内山監督のフィクションであり、半分はノンフィクションでもある。だからこそ、どう向き合おうかと考えたときに出た自分の中の結論が、「僕からNOを出さない」ということでした。「自分はこれができない」とか「これはしない」とか「この役はこうだ」とか、そういう先入観は一切捨てて、監督が見てきた景色、監督が味わってきた空気みたいなものを信じる。だから、もう投影されるがまま生きる、という感じでした。
新潟の地で撮っていたということもあって、監督自身が見てきた景色を、僕も大地(役)を通して見ることができて……。僕が現場で本当にやったことはただひとつ、「何を見逃さないか」ということだったんです。カットがかかったあとの監督のちょっとした機微みたいなものも、僕は見逃してはいけなかった。「今、監督が何を見つめているのか」「この画の中で何を見つめているのか」── それはきっと、僕を通して監督が見ていたいものと、同じものを自分も見たい。それは、ある意味「母を見つめ続ける」ということ。それが、(大地を演じる自分の)第一の生きる目的だったのかなと思います。
新潟の現場が教えてくれたリアリティ
Esquire:新潟というお話が出ましたが、北村さん自身は新潟で生まれ育ったわけではないですよね。それでも作品の中では、地方都市の海辺の街を舞台に、貧富の差があり、そこに宗教も絡んでくるという、そういった現実がものすごく生々しく感じられました。あのリアリズムをどうやって掴んだのか、いちばんのきっかけは何だったんでしょうか?
北村:そうですね……内面的な「生きるか死ぬか」というメンタリティの狭間にいる様子、そういうところも(演技を)助けてくれたのはもちろんあったんです。でもいちばんは、僕が現場に入ったとき、現場にいるスタッフさん全員が、僕が何を求めているのか分かっているかのように、みんな「大地」の話をするんですよ*。今まで見てきた大地 ── ほぼ順撮りでやっていたので、ずっと大地が育っていくのを、丸ごと母のように、父のように、現場の皆さんが全員見守ってきた。だからこそ、そういう思い出話をたくさんしてくれて。それが自然に僕をそのリアルの中に置いてくれたというか、僕を大地として迎え入れてくれた感覚があって。撮影期間中、僕は現場に行って彼らを見たかったんだけど、それは叶わなくて。でも、その現場がまとっている空気そのものが、もう映画そのものだったんだと思います。
ある意味すごく自然に、自分の中に何の違和感もなく「大地にすぐなれる」 ── なかなかそういう現場ってないと思います。ここまで純度が高くて。どの作品も、撮影の日々の思いや思い出は積み重なっていくものですけど、これだけみんなが大地を見守ってきて、その大地は母や父をずっと見つめ続けている。この物語は、視線の先がものすごくシンプルなんです。雪とか霧とか映像もそうですが、大地も何も先が見えない中を突き進んでいく。だけど、その先には ── この映画のゴールとして ── かすかな光があって、そのために大地は生きていく。
向かう先はものすごくシンプルだからこそ、言葉なんていらなかったんだと思います。削ぎ落として、削ぎ落としていく中に生まれるリアリティを、現場が常にずっと保っていた。逆に、ものすごい現場がもう目の前に広がって、待ち受けていたような感じでしたね。
* 大地役は成長期ごとに、子役を含め4人の俳優によって演じられた
Esquire:脚本を読んだ段階で、おそらく非常に迫ってくるものがあったと思うんですが、この役を引き受けた一番の理由を教えてください。どこに惹かれたんでしょうか?
北村:僕は最初、かなり前に内山監督から企画書をいただいていて。『しびれ』というのは ── 彼が『佐々木、イン、マイマイン』だったり『若き見知らぬ者たち』で紡いできた、ある意味「自己犠牲的に自分を削る作業」というか、内山監督自身の心の内、彼が生きてきた心そのものを映画にする作品を作ってきたと思っていて。ある意味、その一個の、彼なりのゴールなんだと思ったんですよね。その段階で、もう「やるよ」というのは決まっていて、そこから監督が脚本で悩んだわけです。何度も方向が右に行ったり左に行ったり、また戻ったりを繰り返して。
Esquire:たしかに、いろいろ考えさせられる部分が多かったです。たとえば観客のひとりとして見ると、「親子のコミュニケーションは手話が自然なのでは?」と最初は思いました。でもあの過酷な環境で母子が新しい言語習得を成功させるのは、よくよく考えると違和感があるだろうなと気づいたりしました。
北村:はい。だから最終的に、会話の方法は筆談っていう形になったり…。いろいろな紆余曲折があって、この作品はできています。
だから自分の中では、「この役がこうだから惹かれた」ということではなくて、この作品がそもそも持っていた魅力に、自分の勘がものすごく働いたという直感があって……。「これは自分がやらなければならない」「内山監督の心の写し鏡になるには僕の目が必要だ」と、直感で感じました。とはいえ一度は、「自分はやれないよ」という迷いも生まれたんです。それでも、監督が苦しんで、いろんな先の見えない海を泳いだ結果生まれたものがこれなんだ、と辿り着いた感じですね。
ベルリンで感じた「説明できない」映画の魅力
Esquire:それだけ愛情を持って役に向き合ったからこそ、ベルリンにも弾丸で駆けつけたそうですね。
北村:「これは絶対に行きます」と断りを入れて、ほぼ日帰り……というか、ゼロ泊でしたね(笑)。ゼロ泊ベルリン。あれは相当しびれました。ちょうど別の作品の撮影をしていた時期で、(現場の人たちに)「明日ベルリン行ってきます」って言って、すぐ飛んで……。でも、本当に行ってよかったです。
Esquire:何か得られるものはありましたか?
北村:映画というものに対する愛情を街からすごく感じましたし、感動しました。単純に、レイトショーの時間──22時くらいの上映だったと思うんですけど、終わったのが0時か0時前くらい。そこから20分の予定だったQ&Aが1時間くらいに伸びて(笑)。800人くらいお客さんがいたんですよ。こんな時間に、日本の映画をベルリンで観に来てくれて、すごいなと。その「愛情」というか……もちろんエンタメだから、どこかで評価が測られてしまうものではあるんですけど、なんというか、すごく純粋に映画が好きで、それに人生を救われているという人たちがたくさんいらっしゃいました。
「自分もそういう道に進みたい」という熱量のある若者がたくさんいたんです。内山監督に「この映画のアイデンティティは何だ」というような質問をしている人もいて、僕はそんな質問もあるのかと、ひたすらに嬉しかったですね。
Esquire:国際映画祭に行かれると、驚かれますよね。新しい体験ができるというか。
北村:街全体がその映画祭をすごく祝っているような空気があって。これはすごいなと思いましたね。
Model: Takumi Kitamura
Photographs by Allan Abani
Styling by Rina Maruo
Hair-Makeup by Rina Ohara
Edit & Text by Keiichi Koyama




















