2026年5月に開催された第79回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出された『ナギダイアリー』は、深田晃司監督が近年一貫して取り組んできた「複雑なものを複雑なまま描く」という姿勢を最も純粋な形で結晶させた作品である。『淵に立つ』(2016年)『LOVE LIFE』(2022年)に続く、新たな到達点と呼ぶべき作品といえるかもしれない。
舞台は、奈義町現代美術館を擁する岡山県奈義町をベースにした田舎町“ナギ”。彫刻家の寄子(松たか子)と東京と台湾で働く建築家の友梨(石橋静河)を軸に、物語は展開するが、本作の特徴は、地方再生や移住といったわかりやすいテーマへと回収されることを頑なに拒む点にある。
奈義町には現代美術館があり、自衛隊駐屯地があり、外から来た人々と古くからの共同体が共存している。深田監督はそうした土地固有の複雑さを単純化せず、むしろ矛盾を矛盾のまま画面に残していく。劇中で繰り返し響く訓練の砲撃音は、その象徴だろう。穏やかな風景のなかに不穏な現実が共存する世界は、どこか現代社会そのものを映し出している。
同時に本作は、女性たちの連帯や、地方において不可視化されがちなセクシュアル・マイノリティの存在にも静かに目を向ける。寄子と友梨の関係、そして春樹と圭太という少年たちの揺らぎは、説明や定義を急がない深田監督らしい眼差しによって描かれる。
松たか子と石橋静河は、それぞれ異なる人生を歩んできた女性たちの距離感を繊細に体現し、若い俳優たちも印象的な存在感を残す。曖昧さを排除するのではなく、そのまま抱え込もうとする『ナギダイアリー』は、分断が加速する時代において、人と人が共に生きることの困難さと可能性を見つめる作品である。
本作で初めてカンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出された深田監督に、ワールドプレミアが行われたカンヌで話を聞いた。
「奈義町に美術館がある不思議さ」深田晃司監督が惹かれた土地の複雑さ
── 企画は9年越しとのことですが、そもそも奈義町のどこに惹かれたのでしょうか。
深田 最初はやっぱり美術館ですね。奈義町ののどかな山あいの町に、美術館がぽつんと建っている。その異化効果がすごく印象的でした。日常が非日常に見えるような感覚があったんです。展示そのものも魅力的でした。荒川修作さんや宮脇愛子さんの作品も面白かったですし、磯崎新さんの建築も素晴らしかった。ただ、それ以上に、奈義町という場所にあの美術館が存在していることの不思議さに惹かれました。
── 奈義町に美術館や自衛隊施設があることには、最初から関心を持っていたのでしょうか。
深田 ある程度の知識は事前にありました。もともと平田オリザさんから「奈義町に行ったら面白いんじゃないか」と勧められて訪れたので、そのあたりは聞いていました。
── 本作では、美術館と自衛隊駐屯地という対照的な存在が印象的です。自衛隊については音によって存在感を示していますが、その意図は?
深田 最初に一度だけ軍用車両は見せていますが、それ以降は音を中心にしました。奈義町で暮らしていると、自衛隊の存在を一番強く感じるのは音なんです。もちろん車両を見かけることもありますが、日常的には音の方が印象に残る。あまり具体的に映像で見せてしまうと、自衛隊の存在感が強くなりすぎる気がしました。あのくらいの距離感の方がいいと思ったんです。
『ナギダイアリー』が描くLGBTQ+と“見えない存在”の可視化
── 中学生の春樹と圭太、そして寄子と友梨の関係性など、本作にはLGBTQ+の要素が複層的に描かれています。どのような考えから取り入れたのでしょうか。
深田 奈義町で物語を作ろうと思った時、本当にほぼ白紙の状態から始めました。まずは地元の方々に取材を重ねたんです。私は東京生まれ東京育ちなので、地方の暮らしについて十分な知識があるわけではありませんでした。奈義町には自衛隊があるので、外から来る人を受け入れることに比較的慣れているコミュニティでした。いろいろな方に話を聞くことができました。ただ、取材を重ねる中で最も姿が見えてこなかったのがセクシャルマイノリティの存在でした。これは奈義町だからという話ではなく、東京であってもそうですが、地方ではさらにカミングアウトのハードルが高い面があるのかもしれない。透明にならざるをえない存在だからこそ表現においては向き合い、可視化していきたいと考えました。取材で一番見えなかった部分だからこそ、そこにフォーカスしたんです。
── その際、どのようなリサーチやサポート体制を取ったのでしょうか。
深田 今回はLGBTQ+インクルーシブ・ディレクターのミヤタ廉さんに、脚本段階からチェックしていただきました。俳優やスタッフ、そして私自身も学ぶために講習を受けましたし、特に春樹と圭太を演じた未成年の俳優たちについては、個別に面談も行いました。
また、実際にセクシュアル・マイノリティの当事者の方々にも取材をしています。奈義町では出会えませんでしたが、地方出身で現在は東京に暮らしている方などに話を伺いながら脚本を書いていきました。
── 『怪物』(是枝裕和監督/2023年)や『CLOSE/クロース』(ルーカス・ドン監督/2022年)など、子どものセクシュアリティを扱った作品が近年公開されました。そうした作品は意識されましたか。
深田 一応、そういった作品や議論は見ていました。ただ、アプローチ自体は全然違うと思っています。実は『怪物』が公開された時には、この脚本はすでに完成していたんです。
「曖昧なものは曖昧なまま残したい」深田晃司監督の映画哲学
── あの年代の子どもたちは、自分自身のセクシュアリティをどこまで自覚しているのかという議論もありますね。
深田 映画をご覧いただければ分かると思いますが、曖昧なものは曖昧なまま描いています。ただ、その曖昧さを本人たちが曖昧だと認識するかはまた別問題です。その時点では確信を持っている。だからこそ周囲の大人は戸惑うんです。実際、友梨はどう接していいか迷う。でも寄子は(少年たちの)背中を押す方向に進んでいく。曖昧なものであっても、それにどう向き合うかは人それぞれです。私は何が正解かではなく、そこにある選択をただ描いているつもりです。
── 寄子と友梨の関係は、あえて明確には定義されていませんね。
深田 寄子については、自身をレズビアンだと認識している人物として考えています。ただ、二人の関係については、明確に恋人関係として定義しているわけではありません。友情の延長線上にあるものとして考えています。性的指向やアイデンティティにはグラデーションがあります。人は誰しも揺らぎを抱えている。
私は映画を作る時、複雑なものを単純化しすぎないように意識しています。表現はどうしても分かりやすさを求めますが、その過程で偏見や差別が生まれることもある。だから私は、複雑なものは複雑なままスクリーンに投げ出したいと思っています。もちろん分かりづらい部分もあるし、観客に委ねる部分も多い。でもそれでいいと思っています。曖昧なものは曖昧なまま残したいんです。
── 本作にはさまざまな対比もあります。その一つが彫刻と建築。まず、なぜ主人公を彫刻家にしたのでしょうか。
深田 これも後から言語化すると多少は捏造になってしまうんですが(笑)、正直なところ、最初になぜ彫刻にしたのかという部分は、自分でもよく分からないんです。かなり直感的な選択でした。ただ、その直感に至る背景はあります。もともと奈義町に興味を持ったきっかけが美術館でしたし、平田オリザさんの(舞台)『東京ノート』を映画化しないかという話から奈義町にたどり着いた経緯もありました。
『東京ノート』も美術館を舞台にした作品ですし、長女が絵を描いている設定もありました。そうした流れの中で、芸術にまつわる物語にしたいと思ったんです。当初は絵画も考えましたが、過去の作品でも扱ったことがあったので、別のものにしたいと思った。その時にふと浮かんだのが彫刻でした。意外と映画では描かれているようであまり描かれていない題材だと思ったんです。
そして奈義町で取材を重ねていくうちに、この直感が思った以上にはまっていたことに気付きました。特に木彫と地方での暮らしは非常に相性がいい。山間部では林業が盛んですし、木材も手に入りやすい。実際に奈義町近辺で暮らしている彫刻家の五次勝さんに取材したところ、倒木などを近所から譲ってもらっているという話も聞きました。都市部で彫刻をやると木材も高いし、騒音や作業場所の問題もあります。そう考えると、地方の暮らしと彫刻家という職業はとても相性がいい。寄子が奈義町で彫刻家として生きていることが、土地の暮らしと有機的に結びついて見えるようになったんです。
── 友梨の職業を建築家に設定した理由は?
深田 建築家にした理由も、本当に思い出せないんですよね(笑)。ただ、おそらく彫刻家という設定が先に決まっていて、その対比として考えたんだと思います。彫刻家は基本的に一人で創作と向き合う仕事です。でも建築はクライアントがいて、多くの人が関わり、大きなお金も動く。そういう意味では対照的な職業ですよね。映画に近いとも言えるし、 どこかで自分の分身でもある。そうした仕事の中でストレスを抱えている友梨が、寄子という生き方と向き合う。二人の対比の中で考えていったんだと思います。
── 今回のカンヌでは、女性同士の連帯を描いた作品が目立ちました。本作もその一本として捉えることができると思います。深田監督はなぜ女性の連帯というテーマに惹かれるのでしょうか。
深田 そんなに意識しているわけではないんです。ただ、確かに最近は女性が主人公の作品が続いていますね。正直に言うと、男同士の連帯を今あえて描くことに、それほど意義を感じないという気持ちはあります(笑)。
私たちが生きてきた社会は、ずっとホモソーシャルな世界でした。日本で言えば家父長制の世界でもあります。もちろん、その抑圧は男性にも女性にもかかっています。この映画で言えば、春樹も長男だからこそ背負わされるプレッシャーがあります。ただ、その不自由さが男女に等しく及んでいるとは思いません。やはり女性の方が、より大きな制約を受けている。そう考えると、今何を描くべきかは自然と見えてくるように思います。
音楽を排した理由──砲撃音と自然音が生む『ナギダイアリー』の世界
── 雨、風、水など自然の音や自衛隊の駐屯地から聞こえてくる砲撃音。本作は音の使い方も非常に印象的でした。特に砲撃音の不穏さは、『関心領域』を彷彿としました。
深田 今回は劇伴が一つもありません。最初は音楽をつける可能性も考えていましたが、ラッシュをみんなで観た時に、関係者全員の意見が一致したんです。「この映画に音楽はいらないよね」と。そこからは音楽なしを前提に編集を進めました。だからこそ音は非常に丁寧に作らなければいけなかった。
録音の益子宏明さんが奈義町で本当に丁寧に音を録ってくれました。劇中に出てくる大砲の音も、すべて実際に奈義町で録音したものです。さらにサウンドデザインはオリヴィエ(・ゴワナール)さんが担当してくれました。本当に細部まで丁寧に組み上げてくれたと思います。
── オリヴィエさんは来日されたのですか?
深田 来日はしていません。オリヴィエさんは、フランス在住で、音の仕上げはフランスで行っています。実は『淵に立つ』以降、ほぼすべての作品でお願いしている方なんです。
益子宏明さんが奈義町で録音した素材をフランスにいるオリヴィエさんに渡し、それをもとにサウンドデザインを構築していきます。
── 海外で音響制作するのと、日本で行うのとでは違いは感じますか。
深田 比較することはあまりできないんですが、『淵に立つ』の時に印象的だったことがあります。日本で録った音素材を渡した時に、オリヴィエさんから「君たちの音には哲学がない」と言われたんです(笑)。そう言われて、衝撃を受けました。「哲学か」と思いましたね。求められるハードルの高さを感じました。
── その経験は今の作品作りにも影響していますか。
深田 そうですね。今では録音段階からオリヴィエさんと連携を取っています。録音部にも高いハードルが課されるんですが、その分、現場で本当に丁寧に音を録ってきてくれる。そういう形で作品作りをしています。















