「笑い」はアルゴリズムでは予測できない:プロデューサー磯山晶が、Netflixで“明るいコメディ”に賭ける理由

「不適切にもほどがある!」で知られる元TBSプロデューサーの磯山晶がNetflixと新作の複数制作の契約を結び、第1弾となる「俺のこと、なんか言ってた?」を完成させた。一気見とデータが重視される配信の時代に、なぜ磯山は“明るい笑い”に賭けるのか。
磯山晶|AKI ISOYAMA
Photograph: Masashi Ura

国民的な熱狂を生んできた地上波テレビの連続ドラマは、いまやネット上の動画コンテンツとの可処分時間の激しい奪い合いの渦中にある。こうしたなか勢力を広げているのが、グローバルな配信網をもつNetflixなどの動画配信サービスだ。

そんな状況を象徴する出来事のひとつが、2024年にTBSを退社したプロデューサーの磯山晶が、Netflixと新作の複数制作の契約を結んだことだった。「池袋ウエストゲートパーク」や「不適切にもほどがある!」など、脚本家・宮藤官九郎と二人三脚で熱狂を生み出してきたつくり手が、主戦場を世界配信へと移したのである。

その契約後の最初のドラマシリーズ「俺のこと、なんか言ってた?」が、Netflixで10月22日から独占配信された。ある日突然、世間からも家族からも完全に忘れ去られてしまった大物俳優のゼロからの再出発を描いた作品だ。

映画のような映像や世界同時配信など、一見するとグローバルストリーミングの恩恵を最大限に享受したプロジェクトのようだが、必ずしもいいことばかりではない。数年をかけて紡いだ全8話の物語が、わずかな時間の“一気見”で視聴され、アルゴリズムの奔流に押し流されていく現実と隣り合わせでもあるのだ。

こうしたなか、なぜ磯山は「明るく笑えるコメディ」に賭け続けるのか。つくり手は何を得て、何を手放したのか──。率直な思いを尋ねた。

Netflixドラマシリーズ「俺のこと、なんか言ってた?」はNetflixで10月22日から独占配信中。

◆

──「俺のこと、なんか言ってた?」は、世間からも家族からも完全に忘れ去られてしまうという、極めて極端かつ不条理な設定から始まります。この鮮烈なアイデアは、そもそもどういったところから生まれたのでしょうか。

発端は2022年ごろですね。宮藤官九郎さんと「次は何をやりましょうか」と話していたときのことです。当時はまだわたしがTBSの社員でしたから、金曜ドラマの枠で放送する地上波作品として考えていました。

そのとき、どこかで見た舞台の宣伝のことを宮藤さんが話題に上げたのですが、それは日本人俳優がブロードウェイの舞台に「オーディションなしで抜擢された」というような内容でした。この記事について宮藤さんが「オーディションなしで起用された事実を、わざわざ宣伝するんですね」とおもしろがっていて。「じゃあ、それくらい有名な人が日本に帰国したとき、誰も覚えていなかったら、おもしろいんじゃない?」という話に広がっていったんです。

映画でいえば、世界中からビートルズの記憶が消えてしまう『イエスタデイ』や、かつての栄光を引きずる俳優がブロードウェイで再起を図ろうとするマイケル・キートン主演の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のような世界観ですね。主役の役者が理不尽なトラブルに巻き込まれ、「自分のアイデンティティって何なんだ?」と足元から揺らぐような話をつくれないかと、ふたりで言葉を交わしながら輪郭を探っていきました。

──その企画自体は、そのままスムーズに具体化していったのでしょうか。

いえ、実はある程度はプロットを組み立てて企画書をつくったものの、「これは金ドラで成立するのかな」「そもそもこんな無茶な設定をやってくれる大物俳優がいるだろうか」と、わたしは懸念を払拭できずにいました。あまりに設定が突飛で難易度が高すぎたんですね。それで、ちょっと難しいから一度やめて、先につくったのが「不適切にもほどがある!」だったんです。

──なるほど、一度寝かせたわけですね。

そうなんです。でも、わたしたちのなかには、やっぱり「中年のおじさんがジタバタと頑張る話をつくりたい」という強い思いがずっとありました。そうしたなか「不適切〜」の制作を阿部サダヲさん中心に進めていたのですが、宮藤さんが風の噂を耳にしたんですよ。「どうやら、とある大御所俳優がコメディをやりたがっているらしい」と。

それが役所広司さんでした。ある方を通じてその話を聞いて、「ダメ元で当たってみませんか?」となったんです。まだざっくりとした企画書しかない状態でしたが、「よし、一度事務所に行ってみよう!」と。

──当時の役所さんといえば、ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』でカンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を受賞された直後ですよね。

おっしゃる通りです。 まさにカンヌで受賞した直後で。事務所を訪問したらお祝いの胡蝶蘭が所狭しと並んでいて、足の踏み場もないくらいでした。

でも、事務所の方々が温かく迎えてくださって、「まずは本人に会いましょう」とお会いする機会をいただけたんです。役所さんは前向きにアイデアを出してくださって、そうこうしているうちに「やってみましょう」と言っていただけました。

ただ、内容を詰めていくうちに「これは地上波の制約のなかでやるより、配信サービスで思い切りやったほうが絶対におもしろい」という話になったんです。ちょうどわたしもTBSを退職すると決めていたので、2023年にNetflixへ企画を持ち込みました。

「俺のこと、なんか言ってた?」撮影シーン

「俺のこと、なんか言ってた?」の企画は、磯山と宮藤官九郎(写真左)との会話から始まったという。

Photograph: Netflix

「承認欲求」という現代の問題

──脚本の宮藤官九郎さんとは、1999年の深夜ドラマ「コワイ童話」の「親ゆび姫」以来、四半世紀におよぶ“相棒”といえます。その宮藤さんと「帰国したら記憶を消されている男」という突飛なアイデアが出たあと、どのようにドラマの設定へと落とし込んでいったのでしょうか。

宮藤さんとは、彼がまだ無名だったころからの付き合いなんです。深夜枠で「うちの作家が本を書くので読んでみて」と原稿を渡されて、読んだら本当におもしろくて。「この人は天才だ」と思ったのがきっかけでした。

それ以来、わたしたちのつくり方はずっと変わりません。喫茶店やLINEでの他愛もないやり取りからアイデアが生まれていきます。わたしと宮藤さんだけで現代人の悩みを語り尽くせるとは思いませんが、ふたりで盛り上がれて、世間のみんなも興味をもってくれるテーマを常に探している感覚です。

今回も、始まりはそんな雑談からでした。ただ、設定自体が今作のように突飛だと、そこから外枠のロジックを固めていくのが大変なんですね。大きな嘘をつくときほど、周りの設定を論理で固めないと、リアリティを保てない。

──設定自体は突拍子もなく思えるのに、妙に納得して笑ってしまうのは、丁寧なディテールによって担保されていたわけですね。その徹底したリアリティのなかで、主人公の高瀬川玄はまさに「承認欲求の塊」として転がり続けます。なぜいま、この承認欲求というテーマをここまで掘り下げようと考えたのでしょうか。

現代社会って、物質的にはすごく恵まれていますよね。劇中にも出てくる、心理学者マズローの欲求段階説でいえば、いちばん底辺にある「生理的欲求」や「安全の欲求」は、多くの人が一応は満たされている。だからこそ現代人は、その上にある「社会的欲求」や「承認欲求」、そして「自己実現」の段階で苦しんでいるわけです。

「イカゲーム」のように「負けたら即座に殺される」というデスゲームは、原始的な本能を刺激するから世界的にヒットするのはよくわかります。でも、わたしたちの身の回りで実際に苦しんでいる人たちの悩みを聞くと、命の危機ではなくて、「上司に正当に評価されない」「仕事がうまくいかない」といったことなんですね。つまり、「自分が社会から承認されているかどうか」に全員が悩んでいる。

それに加えて、SNSの時代特有の問いもあります。顔も名前も知らない何百万人もの不特定多数からネット上で「いいね」されるのと、フォロワーは少なくても自分が顔を知っていて深く信頼している身近な人から褒められるのと、人間にとってどちらが本当の幸せなのか。この承認欲求の構造を描くことは、現代の問題でもあり、いまを生きる人々の感覚に深く刺さるはずだと思ったんです。

「俺のこと、なんか言ってた?」
Photograph: Netflix

──その承認欲求モンスターを役所広司さんが演じているという事実そのものが、強烈な説得力をもっています。現場で対峙されて、どのような凄みを感じましたか。

「役所広司という人は本当に芝居の神様なんだな」と、圧倒されっぱなしでした。何でもできてしまう。驚いたのはリハーサルから一切の手を抜かず、常に本番とまったく同じフルスロットルで演じられることです。

ご本人も「不器用だから、少し力を抜いてテストをやるとかができないんです」とおっしゃっていて。主演俳優がテストから100パーセントの熱量でぶつかってくるわけですから、共演者もスタッフも一瞬で緊張感に包まれるわけです。

印象的だったのは、撮影した映像をモニターで確認する「モニターチェック」にも一切いらっしゃらなかったことです。「ドラマや映画は監督のものですから。演じ終わったら、あとは監督にお任せするだけです」というスタンスを貫いていらっしゃる。

役所さんほど自己顕示欲や承認欲求から“解脱”している俳優さんはいません。あれほどの地位にある方が、脚本に書かれた言葉を信じて、すべてを率先して完璧に演じ切ってくださる。暑かろうが寒かろうが弱音ひとつ吐かない。本当にプロフェッショナルでしたね。

「俺のこと、なんか言ってた?」撮影シーン
Photograph: Netflix

地上波と配信のジレンマ

──制作環境についてもお聞かせください。長年にわたってテレビ局の第一線でドラマを手がけてきた磯山さんにとって、Netflixというグローバルな配信サービスでの制作は変化が大きかったと思います。どのような点が期待通りで、どのような点が想定外でしたか。

最も大きな違いは、制作プロセスの時間軸と意思決定の構造です。Netflixでは、制作の「グリーンライト(正式な制作決定)」が出る前に、クリエイティブのビジョンが固まっていなければなりません。つまり、クランクインする前には、物語で何をどうやって伝えたいのかが明確になっていて、台本も完成している。これは、わたしがいたころのテレビドラマの現場にはあまりなかったことです。

台本が早い段階ですべてあるということは、第1話から最終話までのスケジュールを逆算して効率的にロケを組めますし、美術や衣装の準備にも贅沢に時間をかけられる。俳優さんも結末を理解したうえで、緻密な逆算の芝居ができる。さらに撮影期間が長く、予算規模も含め高品質なものづくりを落ち着いてできる点は期待通りであり、クリエイターとして非常に贅沢で幸福な環境でした。

労働環境の面でも、撮影前のリスペクト・トレーニング[編註:対話を通じて職場の「心理的安全性」や相互理解を深めるワークショップ型の研修]が徹底されていたり、スタッフの労働時間が厳密に管理されていたりして、旧来のテレビ業界の過酷な労働環境と比べると圧倒的に健全だなとは感じました。

──ロケの規模感も、地上波とは桁違いと聞いています。

初日のロケから度肝を抜かれました。役所さんと吉田羊さんと濵田雅功さんがテレビ局の入り口で会話するシーンだったのですが、当日の車両リストを見たら、機材車やロケ車が合計37台もあったので(笑)

地上波のテレビロケって、どちらかといえばゲリラ的というか、少人数のスタッフで近隣の方々や通行人に怒られながら、世間の邪魔者のように肩身を狭くして急いで撮ることが多いんです。でも、Netflixの現場は特機トラックや照明トラックがずらりと並んでいて、あまりにも規模が大がかりで、街を行く一般の方も「これは何かすごい大作の撮影なんだな」と納得して見守ってくれました(笑)。「規模が規格外に大きいと、人は怒らないんだ」というのは、新鮮な発見でしたね。

──そうした理想的な環境の一方で、想定外だったことや、テレビ出身だからこそ感じる違和感やジレンマはありましたか。

ものすごく正直に申し上げますと、やはり「一挙配信」というシステムに対するつくり手としての恐怖と戸惑いは、いまも拭えません。といいますのも、テレビの連続ドラマって、本当に「生もの」だからです。

毎週決まった曜日の決まった時間にオンエアされて、SNSやお茶の間で「わっ」と反響が起きる。その熱狂をリアルタイムで肌で感じながら、「視聴者はあんなにキング(「池袋ウエストゲートパーク」で窪塚洋介が演じたタカシ)が好きなのか、じゃあもっと印象的な出演シーンをつくろう」という具合に、放送しながら脚本を軌道修正していけるわけですから。

──お茶の間のリアルタイムな反応と呼応しながら、作品が3カ月かけて変化していくということですね。

そうです。あれこそが地上波連続ドラマの醍醐味なのかもしれません。視聴者と一緒に作品を育てていく感覚がある。もちろん、毎週の納期に追われる極限の突貫工事だからこその奇跡でもあって、過重労働は変えるべきだし、Netflixの労働環境のほうが正しいんです。

でも、配信サービスでは、わたしたちが何年もかけて企画を温め、1年かけて本をつくり、半年かけて準備し、半年かけて撮影し、さらに1年かけてポストプロダクションを進めた結晶が、「全8時間、週末の一気見で全部観ました!」と視聴される。

配信側のビジネスとしては、一気見(ビンジウォッチ)されることこそが成功のひとつなんです。でも、つくり手の心情からすると、「たった8時間で観終わっちゃったの?」という虚無感がある。1カ月もたつと、もう次の新しいコンテンツの波に押し流されて、話題の寿命が尽きてしまう。

地上波の良作ドラマがもっていた、3カ月かけて人々の心の中でじっくりと発酵し、育っていく、あの「豊かな時間」が、アルゴリズムとファスト消費の構造のなかではどうしても生まれにくいんです。視聴者ファーストの自由な視聴体験であることは重々承知しながらも、つくり手としては「もう少しゆっくり噛み締めてほしい」という気持ちになってしまうのが本音ですね。

磯山晶|AKI ISOYAMA
Photograph: Masashi Ura

──地上波と配信、その両方を知る立場から、日本のドラマはこれからどうなっていくと考えていますか。

正直、難しい状況だと思います。制作費も制作環境も配信のほうがいいので、俳優さんも自然とそちらへ流れていく。地上波で連続ドラマをやるのは、リスクが大きいですから。コケたら「爆死」とかネットに書かれるし、キャスティングは難しくなってきていると思います。

ただ、宮藤さんのように“テレビに育てられた”と思っている人は、それでも地上波をやりたいと言う。そういうつくり手が、いまも支えているところはあります。地上波は時間のないなかでつくらざるをえなかったのですが、それでも奇跡みたいにおもしろくなることが、かつてはありました。ただ、それを持続させるのは難しいのが、現状ではないでしょうか。

いまこそ「底抜けのコメディ」が必要

──Netflixをはじめとする配信サービスの国内ランキング上位を見ると、ダークなサスペンスや復讐劇、バイオレンス、あるいは実録犯罪ものやアニメが占める傾向があります。アルゴリズム的にもそうした過激で暗いトーンのほうが視聴完了率が高くなりやすい傾向があるとも言われます。そうした潮流のなかで、あえて王道のコメディを世に問うことに、どのような矜持をおもちですか。

おっしゃる通り、いま配信で数字をもっているのは、地上波ではコンプライアンス的に描けないダークな犯罪サスペンスか、復讐劇、あるいは骨太な昭和の一代記のようなものが多いですよね。配信サービス側が求めているニーズも、そちらに傾いているのは重々承知しています。

でも、だからこそわたしがそっちに行かなくても、と思います。わたしはもともと、人が明るい気持ちになれて、心の底から笑えるものが大好きなんです。世の中がどんどんシビアになって、息苦しくて切実な時代になっているからこそ、観ている間だけでも日ごろのストレスや生きづらさを忘れられるような、底抜けの活力に満ちたコメディが必要なんじゃないかと信じているからです。

もちろん、この作品が配信されたあとの結果次第では、Netflixから「やっぱりコメディは難しいですね」と言われてアジャストを迫られる可能性はあります。それはビジネスですから、甘んじて受け止めます。でも、つくり手としての自分のコアな嗜好性だけは、ブレたくないと思っています。

──磯山さんはプロデューサーとしては珍しいほど、クランクインから仕上げまで現場にずっと張り付いていらっしゃるとのことです。Netflixと契約した現在も、その現場主義は変わらないのでしょうか。

変わりませんね。撮影現場には最初から最後までずっといますし、ポストプロダクションも全部立ち会います。理由は単純で、心配性だから(笑)。自分が不在の間に、脚本の意図とはまったく違う方向に現場が進んでしまったら手遅れですから。

でも、もっと根源的な理由を言えば、「もったいないから」なんです。わたしたちは何カ月も、何年もかけて脚本をつくりながら、「このセリフをあの俳優さんが言ったら、いったいどんな表情をするんだろう?」と妄想し続けているわけです。それなのに、現場に行かずに完成した映像のモニターだけで確認するなんて、あまりにももったいないじゃないですか。

朝いちばんのドライリハーサルで、役者さんたちが初めて生身の身体でセリフを交わし合う瞬間。そこに立ち会うことこそが、プロデューサーという仕事の最大の喜びであり、特権だと思っていますから。

「俺のこと、なんか言ってた?」撮影シーン
Photograph: Netflix

──テレビ局を離れ、世界的なプラットフォームと対峙するいま、磯山晶というプロデューサーはどこへ向かおうとしているのでしょうか。

いまは個人でYouTubeチャンネルを立ち上げることもできるし、ミニシアター向けのインディペンデント映画をつくることもできる。表現の選択肢が無限にある時代です。

そのなかで、なぜわたしがNetflixのような巨大な動画配信サービスと組む道を選んだのか。それは、発信元の母体が大きく資本が盤石であるほうが、最初に純粋に思い描いたアイデアを、結果として何ものにも汚されずにそのまま世の中に届けられる確率が高いからです。

もし完全にひとりきりの独立資本で、あちこちのスポンサーに営業して頭を下げて資金を集めていたら、「ここはスポンサーの意向で変えてください」「このキャスティングにしてくれないとお金は出せません」とかのリクエストがもしもあった場合、企画がどんどん変節していってしまう。完成したときには、自分が最初に何をつくりたかったのかすら見失ってしまうかもしれない。映画の製作委員会方式で、何十社もの顔色をうかがいながらまとめ上げるプロデューサーの先輩方を本当に尊敬しますが、わたしにはそのスキルはない。

役所広司さんをはじめとする一流のキャストやスタッフに、何の不安もなく安心して創作に没頭してもらい、世界中の観客に混じり気のない最高純度のコメディを届けることがわたしの役割です。データやアルゴリズムがどれほど発達しても、人間の「おかしみ」や「愛おしさ」のすべてを数式で予測することはできません。人が人を笑わせ、救うのは、いつだってつくり手の情熱や、現場の生身の熱量から生まれるのだということを、わたしは信じたいです。

磯山晶|AKI ISOYAMA

磯山晶|AKI ISOYAMA
プロデューサー。1967年東京都生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、90年TBS入社。宮藤官九郎と組んだ「池袋ウエストゲートパーク」(2000年)、「木更津キャッツアイ」(02年)、「不適切にもほどがある!」(24年)のほか、「恋はつづくよどこまでも」など数多くのドラマをプロデュース。「俺の家の話」で21年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。TBSを退社後の24年7月からNetflixと5年契約を結び、「俺のこと、なんか言ってた?」を手がけた。


Photograph: Masashi Ura

(Edited by Daisuke Takimoto)

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